重誓寺の由緒


●寶池山白蓮院重誓寺は摂州榎並の荘において浄土真宗開闢の寺院である。

●開基は島津友廣という鎌倉の武士で、高祖親鸞聖人が関東にて御化導の節、友廣御帰依して御弟子となり、法名を賢浄と賜わる。
それより諸国経回して自行化他の道を歩み給う。
文暦元年(一二三四年)五條國綱という公家が賢浄を請じて榎並の人々を教化せしめられた。

●賢浄の住まいとした所は高倉上皇が厳島御幸の時、摂州榎並の嶋大川尻(摂津名所図会)に縄殿という行宮を営構し、鳳輦を留め給うた。その節その縄殿を佛法弘通の院として人々を現当安穏ならしめるよう宣うた。
五條國綱郷がそのお言葉を敬承して、その御殿を白蓮院と名付け、阿弥陀如来像を安置して嶋の人々が参詣していた所と言われている。

●開基賢浄より当院第十代宗賢に至り、本願寺第八代蓮如上人がお立ち寄りされ、御名号を御染筆なし下された。また境内に松と藤をお手植えされたが、松は早くに枯れ、藤はその一部が残っていたが、本堂のすぐ裏にあったため、昭和二十年六月七日の戦災で焼けてしまった。
昔、中村の子守歌に
 「榎並中村重誓寺の藤は
   根でからんで、からんで巻いて末で四尺の花が咲く」
と唄われていたそうである。

●当院第十一代西了に至り、本願寺第九代實如上人より、重誓寺という寺号を賜わり、その後永正十七年(一五二〇年)四月、方便法身の画像(現存)を賜わった。大永元年(一五二一年)實如上人が御入寺になり、御文八通を御染筆なし下された。

●当院第十三代浄念の時、本願寺と織田信長との間に石山合戦がおこり、榎並の村々より籠城の石山本願寺に番衆や兵糧を送ったりした。特に青田を刈って夜ひそかに運んだと言うことである。

●江戸時代にはその起源により、毎年本願寺へ番料を進貢したり(大谷本願寺通紀)又、榎並十四日講という講社が出来、懇志を上納していた。その功により承應三年(一六五四年)本願寺第十三代良如上人より、また寛延三年(一七五〇年)には第十七代法如上人より御消息が下され、昭和の中頃まで榎並の各寺で毎年その御消息披露の法座が開かれていた。

●寛文九年(一六六九年)十一月二十一日、重誓寺に由緒末代の證として本願寺より、初中後という別名を下され(大谷本願寺通紀)又、貞享元年(一六八四年)阿弥陀如来木佛(現存)を送られた。

●幕末鳥羽伏見の役の時、当寺第二十三代島津頼賢は荒生蓮生寺三品教運、友淵友末寺友末大解と共に、禁裡猿ヶ辻の警固の任に当たった。

●江戸時代より寺子屋等により、村民の教育に盡して来たが、明治八年七月寺内に小学校が創立され、大阪府第五大区三小区、中村小学校と称し、江野、中(中宮)、南島(大宮)、荒生(生江)、内代、関目の子弟が通学した。
 その後明治二十年四月に中村簡易小学校と改称され、明治二十二年七月城北尋常小学校が創立されるまで続けられた。
当時、城北小学校の門を出ると、重誓寺の本堂屋根と大銀杏の木が見えたそうである。

●榎並荘は昔から度重なる淀川の水害に見舞われたが、享和二年(一八〇二年)の長雨による被害は甚大なもので、「榎並八箇洪水記」に、その生々しい情景が記録されている。
明治十八年の堤防決壊による洪水の被害も大きく、寺本堂の中程まで水が来て、寺族は庫裡の二階より船に乗り、天満八軒屋へ避難したと言うことである。

●昭和十九年、梵鐘が軍需のため供出された。

●昭和二十年六月七日、大阪市北東部に大空襲があり、寺は焼夷弾で本堂、庫裡、書院等全焼した。
当時前住職は龍谷大学予科二年で、学徒勤労動員のため造船所で働いていた。しかし大阪市北東部が空襲と聞き、天下茶屋より走って帰ったが、すでに門から中は火が回り残骸の山であった。
前々住職や寺族は城北公園へ避難し、無事であった。
その時多くの寺宝、記録が失われたが、次のものが疎開により焼失を免れた。

 本尊(木佛)   前記
 方便法身画像   前記
 聖徳太子画像   延宝元年(一六七三年)十一月二十一日
          本願寺釋寂如 願主釋慧賢
 七高僧画像    右に同じ
 親鸞聖人繪傅四幅 寛政十一年(一八〇〇年)十月二十八日
 金字紺泥の佛説阿弥陀経 郭譽眞雅筆
その他
 山門       数百年前建築
 喚鐘       元文三年(一七三九年)二月下旬再興
 大銀杏      樹齢数百年

●昭和五十二年、門信徒の募財により、現在の本堂が再建された。

●平成十五年、蓮如上人五百回遠忌法要、第二十八代住職継職奉告法要の記念事業として、山門新築、本堂、庫裡修理工事が行われた。


     
重誓寺 歴代住職


 一  代 賢 浄  二  代 賢 順  三  代 賢 了
 四  代 賢 意  五  代 賢 立  六  代 賢 存
 七  代 賢 随  八  代 賢 光  九  代 賢 清
 十  代 宗 賢  十一代  西 了  十二代  願 浄
 十三代  浄 念  十四代  徳 弥  十五代  賢 宗
 十六代  慧 賢  十七代  智 賢  十八代  智 翁
 十九代  隆 賢  二十代  周 賢  二十一代 尚 賢
 二十二代 浄 賢  二十三代 頼 賢  二十四代 行 賢
 二十五代 行 範  二十六代 行 尚  二十七代 尚 文
 二十八代 尚 之